同居嫁と姑の問題、旦那はいったい誰の味方なんだろうか?
その答えは、誰の味方でもなく、嫁も母親も大事だと考えるのはむしろ自然なことだし嫁が否定できるものでもないだろう。だが、嫁姑の問題に知らんぷり、無関心、面倒だというスタンスが見え隠れするのなら、嫁としては「姑の味方」だと錯覚してしまい、結果、どうせ悪いのは…と気を落とすのも、むしろ自然な心情だ。
――旦那が帰宅すると、食事中の雰囲気が気まずいことを察知したようだ。
何かあったのだな? と察した旦那は、さして不機嫌でもなかった私から事情を問いただすことをした。私は事実をありのままに旦那に伝える。
洗濯物の干し方や、食事の用意のことで姑との間に波風が立ったことを旦那に教えた。ところが、旦那は「どうしてそんなことで衝突してしまうのか?」と考えた。
旦那としては嫁と姑の関係がうまくいって欲しいと願うばかりだから、その、衝突してしまう理由について追究しようとする。けれど私は、トラブルの原因を知ろうとする旦那と対立してしまうかのように「どうせ悪いのは私」と言い捨てながら、それ以上の議論をしようとしない。
ふてくされたような嫁の態度が気に入らないのか、それとも、持ち帰り残業の始末が気になって、サッサと〝風呂、飯〟を済ましたかったのだろうか……「おまえが悪いと思うのならどうしてちゃんとしないんだ!? 」と憤って見せた。
あー……姑にストレスがたまるような同居生活って、夫婦仲までその影響を食らうものだ。
旦那の憤りに対して「あなたは何もわかっちゃいない」とキレてみせる以上に、やりきれなさが心の中を充満してしまった私は、昔からよく世話になっている叔母に、愚痴をこぼすふりして相談してみた。叔母からのアドバイスはこうだ――。
「どうせ悪いのは私」と私が吐露するのは、夫から「お前のやり方が悪い」と有無を言わせなかったいきさつが原因ではないか? 姑と同居する妻だって、努力に反してうまくいかない時もあればストレスが爆発してしまいそうになる時だってあるだろう……。
それを「もっと大人になれ」と一蹴するのではなく、妻のふがいなさに耳を傾けることが必要。その上で、妻にどうあって欲しいかを伝える。例えば「ボクは、君が母と仲良くして家庭を守ってくれることが一番うれしいし、心が安まるんだ」と言葉として妻に言い伝える。――それが大事なのだと。
世の旦那族は、そんなのわかりきっていると、言葉として言い伝うことを省略してしまう傾向にあるらしい……。
省略? いや、そうではなくて〝そんなこと、いちいち言わせるのか?〟とする少々ゆがんだ「旦那の定義」に支配された男性が多いようだ。けれど、いちいち言わなくともわかりきっているから口にしないとする言い分は、単なる〝怠慢〟でしかない。
夫の気持ちを言葉として受け取った分だけ、妻の気構えは揺るぎなくシャンとし、姑との付き合い方も創意工夫を加えられるようになるのだ。
夫とは、勤労者の属性だけではダメ。妻を幸せにする責任は、夫にあり。
――切れ味抜群、爽快な叔母からのアドバイスは私の心にスーッと溶け込んできた。もっとも…これはアドバイスではなく私の悲願を代弁してくれたと表する方が適切ではあるが……。
ともかく、うちの旦那も例に漏れず、敵も味方もない…言わなくともわかり合えるのが〝夫婦〟じゃねえか? を地でゆく困り者だ。「嫁も母親もどちらも大切だ」それは十二分に理解できるし、親子の信頼関係についてたかが同居嫁にああだこうだと論じる資格などないだろう。
だが、気丈に見えても結局は女……、質の気持ちよりも量の言葉で自分の気持ちに受容共感して欲しいときだってあるのだ。
さて、この気持ちを…この鬱憤を…どうやって旦那に知らしめるかが喫緊の課題である。