f 嫁と姑の不仲をママ友が斬る~ 姑にストレスがたまる同居嫁のブログ
と嫁のトラブルやストレスは尽きぬもの。それが同居嫁となればなおさらのこと、問題は積み上がる。姑と同居嫁の関係って・・・もうどうにもならないのか?上手く付き合えば、姑は安心を得て嫁は知恵を得るwinwinの二人にもなれるだろうに、そうはいかぬが世の常か・・・・・・このブログは、姑と同居する嫁が主観100パーセントでストレスを言語化するブログである。
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嫁と姑の不仲をママ友が斬る


「だいたいさ……同居嫁と姑が仲良くするなんてありえないよ。不仲で当たり前なんだってば…たとえば、同居嫁が実の母親のように姑に尽くすとか、姑が実の娘以上に嫁をかわいがるなんて話、ネット上にはフワフワ漂っているけれど、あれはみんな嘘っぱち。どっちの場合も、自分の本心を偽っているとしか思えないよ。姑というのは旦那の親であって、嫁の親ではない。つまり嫁と姑はアカの他人なんだから基本は不仲でストレッサー、他人に多くを期待してもダメさ。そんなことをするから悲劇が生まれるのさ」


例に漏れず不仲とストレスフルな毎日の私は、とあるママ友にグチをこぼしたことがある。


すると心豊かなそのママ友は、嫁と姑の不仲について次のようなことを私に諭してくれたのだ。

>たしかに、夫と妻もアカの他人なら、嫁と姑もアカの他人には違いない。不仲となってしまう根源的な原因はそこにあるのかもしれないね。でも、夫婦愛、師弟愛、同士愛など、アカの他人同士の深い愛情はたくさんある。
姑に限らず、ギクシャクした人間関係によってストレスを抱えているのなら、気兼ね、遠慮、猜疑心など、様々な雑念、妄念が生まれてくる。そういう無用なもの、形式ばったものを捨ててしまうと、あとに残るのは不仲とかストレスとかが除去された、人間関係・親子関係の美しさということになる。

ママ友の知人にこんな人物がいたそうだ。
――結婚と同時に夫の両親と同居したが、お姑さんがきつい人で、ご飯を食べていても姑の視線を感じて、ろくろく、ご飯がのどを通りませんと訴えていたそうだ。しかも、彼女は妊娠中だからたまらない……。

もしこれが、実の母親であれば、「どうしたのお母さん、私そんなにきれい?」なんて冗談のひとつが飛び出すのかもしれない。
その一方で彼女の場合は、姑とは常に自分に否定的感情を持ち、白い目で見る人物だという自動思考が、まさに自動的に逸脱した警戒心を生み出している状況にあると分析した。

そこでママ友は、彼女の自動思考の修正を試みた。
何をしても何を言っても、姑は私を責めるに違いないと反射的に考えるたびに、ちょっと待てよ? 実は姑の本意はそこにあらずかもしれないと、ネガティヴマインドの修正訓練を施したのだ。

数週間後、幾分、表情も晴れやかになった彼女は、こんな言動に打って出た。
外出先から帰宅するなり開口一番!
「ねえ、お母さん! 今日は外でいろいろな話を聞いてきたんです。妊娠すると誰でもすごくおなかが空くんですって。これからは、安心していっぱい食べるわ」
言っている内容自体はさりとて重要な内容ではないが、明るい表情に芯の通った声は、彼女の心の中に存在する自動的警戒心を払拭していた。

すると、姑からはこんなレスポンスが発生したのだ。
「そうなのよ。私は、あなたがあまり食べないから、おなかの子に悪いんじゃないかと思って心配していたのよ」

これ、あまりにもできすぎた話に感じるが、事実だそうだ。小さくとも大きな心の持ちようの変化によって、関係は改善した。
このケースの場合、お互いに遠慮してしまい、あっさり言ってしまえば何でもないことを、相手に変な猜疑心を起こさせるようなことになっていたのが本質的な原因だったとママ友は紐解く。


学問的に人間関係の問題を掘り下げる機会が多い、そのママ友。

嫁と姑の不仲について、次のようなケースにもかかわったそうだ。


律儀で生真面目。物事を非常にキチンと、そして手際よく片づけていく姑と一緒に暮らすようになったあるお嫁さん。
彼女は当初、早くお姑さんのような手際よい家人になりたいと頑張っていたのだが、比較的のんびりと育てられた生い立ちから、根本的に姑のような気質にはなれないしペースにもついていけず、焦れば焦るほど失敗が重なり、新婚生活の甘さどころではなくなってしまった。

いちど嫌になると、人間は反感を抱くようだ。その結果、お姑さんのささいな言動さえ腹が立ち、嫌悪感を感じるようになる。両者が不仲となるのは時間の問題だった。
――ひとつ屋根の下で暮らしていても、お姑さんの存在が疎ましく、言葉も交わさない状態になってしまったのだ。

そんな思いを夫にぶつけて、夫婦喧嘩になることもしばしば。そんな時、ママ友が彼女に諭したのは、不平不満の思いを克服するということだった。

姑に対して嫌悪を感じるのはどうして? そこにフォーカスをあててじっと考える時間を設ける。すると彼女なりの気づきがあった。

嫁にできないことをテキパキとやってのける姑に対する敗北感を、姑を嫌うことで代替えしていた。
先輩主婦とも言える姑は、厳しかったお舅さんと暮らすことで身につけたスタイルを続けているだけなのに、同居嫁に対して〝あてつけがましい態度〟と屈折したとらえ方をしている自分の見苦しさ。

その後彼女は……お姑さんに負けてはいけないと無理なライバル意識を出したりせず、マイペースで同居を考えてみるようになったそうだ。
それまで、台所の片づけでも、お姑さんが始めると「いえ、私がやりますから」と意地を張るような態度を改め「じゃあ、お願いします」とアッサリ言えるようになると、敵視していた姑は、家事のプロとして色々教えてもらえる素敵な先生となり、会話も自然に増えてくるようになったそうだ。

およそのケースで、嫁と姑という関係は不仲である。

人間は感情とエゴでつくられた生き物だから…そんなようにも思う。けれども、不仲で当たり前! 両者が互いにそっぽを向いて暮らし続ける薄暗さは、精神衛生上よろしくないのは言うまでもないだろう。

嫁と姑の不仲をどう乗り越え、どう改善していくかに、同居嫁としての人物評価は試されるような気がしないでもない。そんな気持ちにさせてくれるママ友のアドバイスだった。
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