姑にストレスがたまる同居嫁の日々のメンタルは総じて不安定。反面、旦那は自分の母親や姉妹つまり姑や小姑のことを、元は他人であった私以上の情報と冷静な視点で観察していると言えるだろう。
その冷静さゆえに、旦那の話は単なる当てずっぽうとばかりは思えず、この私が思わずうなずき、そしてため息が出る。
そんなわけで、旦那の視点による姑と小姑たちの人間観察について語ろう。
――小姑について
わが家の小姑は三人である。上から順にキヨ、ハナ、フミ。
姑の〝あの〟性格と人格をもっとも知っているのは旦那だが、 次に理解しているのは小姑三人の中で一番長く家にいた(最後に結婚した)ハナである。だからハナは姑の人間性をわかっている分、嫁と姑のトラブルの根っこには姑の人間性が強く起因していることを知っている。つまり、口にはしないが三人の小姑の中ではいちばん嫁を支持するスタンスでいてくれる。もっとも……支持してくれる、同情してくれる、何かあれば味方になってくれる、と、そんな強力な影響力があるわけでもなんでもない。まあ、心の中ではなんでもかんでも同居嫁が〝悪い〟とジャッジするような人間でないことは確かだが……。
問題なのはキヨとフミ。この二人は姑の自分本位のこじらせ気質に気付く前に結婚して家を出てしまった疑いが強い。疑いというのは…今と違って昭和初期を生きた人だから婚姻時期そのものが不正確というか正確に残っていないためである。
母親の性格を知らない分、嫁姑・同居問題が起こった時、自動思考で姑の言い分に共感する。つまり、姑の味方だ。
換言すると嫁の敵。敵も味方もないんだろうし、毎日毎日、喧噪な人間関係で暮らしているわけではない。だけれど、どっちの味方か白黒つける人間関係を美徳とする昭和初期の二人だから、なにか小さなトラブルが生じた場合でも、問題は瞬時に飛躍する傾向にある。しかしこれはもう、しかたのないことなのだ。人間の心は、生きてきた時代につくられるものだと思うからだ。とはいえ、同居嫁にも言い分はあるのだ。
だいたい、うるさい小姑二人とも、結婚して家を出るまでは親子喧嘩も大変だったろうに、自分たちが嫁に出て親と離れてしまえば、里心がついたんだろうか? 同居嫁となった私に「やれ。お母さんを大事にしろだとか、あれじゃあお母さんがかわいそうだとか……」なにも状況を理解していないくせにウルサい。
こんなとき私は旦那に愚痴をこぼす。
「お母さんがこう言ってたけど、どういうこと? とでも尋ねてくれれば「事実」を説明できるのになあ」
すると旦那は、
「あいつら、そんな事を言ってこられるわけないじゃん。自分たちだって義親と上手くいってないのにさ。俺たちにそんなことを言うなら、どうすれば上手くいくのか自分が見本を見せてみろって話になるじゃん?」
と言う。
はあ……? 私にしてみれば、この機会にわが家の事実を語って知ってもらいたい気持ちもあるんだけど。
ところで、姑はなぜ舅と結婚したのか?
姑は昔の人らしく姉妹だけでも5人もいるが、全員が実家の近所(徒歩で里帰りできる距離)に嫁いでいる。しかし、姑だけが車で数十分かかる場所に嫁いだ。〝嫁ぐ〟という表現そのものが古典的だが、5人もいた姉妹の中で唯一、姑だけが離れた土地柄に嫁いだのか? 旦那の推測はこうである。
近所の男は幼なじみである、すると小さな頃から姑の性格を知っている、だから誰も自分の嫁にとは思わなかった。
なるほど……姑はその人格ゆえに婚活には苦労したという話だ。
旦那は、舅つまり自分の父親のことについてもこう触れる。
「親父はすぐに酒を飲んでは「ああだ、こうだ」と口うるさかったから好きじゃなかった。けれど今思えば、お袋の性格があまりにもきついから、気を紛らわせるために酒におぼれていたのかもしれない。もしかすると、親父は気の毒な人生を送ったのかも? と、ふと思ったりする」
旦那の視点による姑と小姑たちの人間観察。生きた時代背景やら、やたらと大家族な昔気質の家系図、そして姑の婚活事情もしかり……途中から同居嫁としてこの家の人となった私には及ばない洞察と観察である。