ストレスと重圧は似たようなカテゴリの言葉だが、同居嫁の食事ストレスは重圧と形容した方がふさわしいかもしれない。
旦那と結婚する前。私は義親となんて同居したくないし、姑の分を含めた家事をやるのもイヤ。姑の方は同居とは嫁の当然に課せられた義務であり、別居するなんて頭の片隅にさえなく、家事だって嫁の主たる仕事だという大前提……。
そもそも、旦那は長男坊だから同居は避けられない。なんでそんな相手と結婚したのか? そこが根っこの問題であるような錯覚もアリかもしれないが、きっとそれは別次元の話だろう。
ともかく、結婚前には嫁と旦那と姑が互いに譲歩し合う結論というわけで「はじめは別居いずれ同居」という条件での結婚が決まった。
人生バラ色の姑との別居時代もつかの間……数年後には同居嫁となった。
同居がスタートすれば待ってましたとばかりにストレッサーが四方八方から私を包み込む。若い私は、できれば姑と接触する時間を軽減することでストレスをためこまないように試みた。とくに姑に対する憎悪感情なんて無いのだが、根本的に旦那を挟んで他人同士な二人なのだから、そういう工夫を施すことで嫁姑の問題予防というふうにもとれる。だから、私のような同居嫁さんが同じような行動感覚で姑に接したとしても、同居嫁であるくせに姑と顔を合わさないようにするのはあこぎな嫁だと言い捨てるにはどうかな?と思う。むしろそれは嫁いだものの気遣いに近いはずだ。
具体的には、昼食は別にして姑には自分の分のおかずは自分で作ってもらう。という努力を行ってもらう口約束をしていた……。
一見…冷たい関係のように見えるかもしれないが、食事をべつにすればずいぶんと心が軽くなった。食事を別にすることは今日からできる効果的なストレス解消策?もちろん義親にも家々の考え方があるだろうから、頭ごなしに「そんな態度ではダメだ!!」と言う人もいるだろう…。だとしても、嫁いでおきながら失礼な嫁だと評価するタイプの姑なら、もはや何をどう尽くしても互いの距離感は一生、広がったままじゃないかと思う。
そんなわけで、食事を別にすることには了解してくれる姑だから、そこのところはありがたいお話である。ところが、当初…食事の用意に関しては姑に努力義務を口約束してもらったというのに守られない日が多い…と言えば多い。
結局…旦那がいる以上は3食作ることに変わりはないんだから姑の分も一緒に作る方が合理的だ。
だけど、好きな人の食事を用意するのと、嫌いな人間のお腹を一杯にするために何かを作るのとでは全く違うのだ。そこで、私が今まで食事の準備をする事にどれだけ重圧を感じていたかということに気付された。 少々大げさだけど食事が別になった直後は「世界が変わった」とまで感じたほどだ。今だって別々になって本当によかったと何度も思う。
姑とはおかずの好みが全くと言っていいほど合わない。世代も嗜好も違うのだから当然だ。じゃあ、そこでどちらかが我慢するという図式が生じる。もちろん立場の強弱からして嫁が我慢する運びとなる。それをストレスという……。
食事は人が人として生きる毎日の営みであり一生繰り返す行動だ。
そこに、姑から授かるストレスを関与させたくないと思うのは私だけだろうか……。