姑との不仲を理由に離婚を考えたことは…もちろんある。
もしも離婚するのなら、すぐにでもしないと女として年齢が積み上がるほど人生に不利だと真剣に考えたこともある。あるいは、いっそ、婚姻期間を最大限に引っ張って慰謝料の積み増しを狙った方が得かも? と策を練ったときだってある。姑との不和を盾にして離婚を主張し、できぬのなら別居という条件を提示した場合の勝算をはじいたことだってある。それほど、嫁と姑の不仲やストレスは放っておくと離婚という物理的解決しか残されていない状況に、容易に発展する可能性がある大きな問題なのだ。
ところが、世の旦那族には「嫁姑問題なんて…」と一蹴する男が少なくないのは、それだけ世の嫁たちがストレスを外にもらさず、不仲は自分が悪いとけなげに押し隠し、いつもいつも非は自分にあることにしておいて日常生活を維持しているから、ノー天気な旦那は「おれたちはうまくいってる」なんて大きな大きな勘違いでもしているのか?
家族は小さな組織だと形容する者がいる。それなら、離婚や別居さえ思い詰めるほどストレスに侵された同居嫁なんぞ、他家という組織の中で一生、昇進も配置換えも転勤もなく、しかも外部からの業務監査も実施されぬ閉塞的なインフラの中で過ごすことで生み出される〝非幸福〟の象徴ではないか?
にもかかわらず、旦那が、窓際の他部署で一生ノー天気に過ごすつもりなら……もはや、離婚は秒読み段階でしかないだろう。
でも、せっかく夫婦になったのだ、回避策はあるはずだ。同居嫁が姑にストレスをためてためて爆発させずにストレスを押し殺し陰にこもる、このネガティブ劇場に白馬の騎士となるのは誰か? ……それは言うまでもなく旦那である。
旦那というキーマンは、嫁と姑の多岐の問題に計り知れない影響力を及ぼす役回りなのだ。とりわけ、なにをするでもない…合理的で建設的な解決志向で嫁と姑の人間関係をベストに保つような、なにか特別なカウンセリングスキルがあるのでもない。
ちょっとひとこと…少し気の利くアクション…そういう小さくて大きな言動こそがキーマンと呼ぶにふさわしいのだ。嫁と姑の確執にはズバリ旦那の一言一行が効く。
ところで、姑との確執で疲弊し離婚を考えたときに、私は実家の母に何度か相談した経験がある。ところが、母親というのは案外、姑を支持する傾向がある。というのも、嫁として嫁いだのだから〝家〟に従うのは嫁としての〝つとめ〟だと考えるからだ。
これはなにも、私の母親が完全に姑を支持しているわけではない。むしろ、娘である私が〝家〟に従うことによって結果的に幸せになるであろうと諭す意味での支持なのだ。つまり、下手に対峙することによって嫁として生きにくさを感じるぐらいなら、長いものに巻かれておけという、私を支持するための意見とも言えるだろう。加えて、離婚なんてしたところで結局損をするのは女だよと言いたかったはずだ。
波風立てずに同居嫁として生きることが、結局は、それなりの幸せなんだよ……それもひとつの生き方だろう。まして、私の母のように昭和初期の世代の女にとっては、忍耐が美徳であるという根っこのポリシーがある。そう考えれば、母の意見は母なりに娘を想う結果によるものであろう。
このような母からの悟りを受けた影響も受けて、嫁と姑の人間関係におけるストレスは発散や解消をするものではなくため込むことが美しい? ような特殊な自動思考に陥ってしまうことがある。
ここで、嫁と姑の問題のキーマンは旦那だという話に戻ろう。
「旦那の理解があるから救われる」こんな経験が私にはある。ストレスをため込むことが同居している〝いい嫁〟だと誤った自動思考におぼれていたときに「そうじゃないんだよ」と救ってくれたのがキーマンである旦那だった。長いもの=姑にまかれることで〝いい嫁〟を演じることは不毛でありジェネレーションギャップ。そんな意味を込めて、旦那が私に放った言葉は…
「おふくろのことでいき詰まったら俺に相談してこい」だった。
この一言で、私は離婚を中断したとも言えるだろう。そして、この言葉がありがたくて、それ以来、私は姑とのトラブルはグチも含めて旦那にシェアし続けている。だからって、旦那に相談すればなにか解決できるのか? というと、それはノーだ。理由はひとつ。ストレスをゼロ値にするには物理的解決方法、やっぱり別居もしくは離婚しかなく、同居生活をぶっ壊す他にないからだ。
離婚か別居により、同居というたったひとつの要因を解消さえすれば〝すべて〟が、解決できる。
これが簡単なようで困難であることは、世の中の同居嫁であればわかるだろう。そうすると、同居嫁なんて身分は、愚痴という形態の気持ちは、聴いてもらえる誰かが存在していることによって晴れるものなんだなあとつくづく思う。いい嫁を演じようとすると疲れてしまうものだ。いつも姑からよく思われたい、悪く思われたくない、立派な嫁といわれるようにしないといけない、そして負けたくないという気持ちでいると精神的にダウンしてしまうし、そういう思いが強すぎると、逆にぎこちない動きになって余計に不和になったりするのだろう。
嫁姑のトラブルにはいろいろなファクターがあるから、トラブルやストレスを軽減するために、すぐに自分の思う通りの答えがでてこないことも多いはず。
そんなとき、嫁と姑の問題から逃避する旦那であれば、もはや夫婦として成立していないわけだから離婚という解決方法だって可能だ。あるいは、姑との不仲に介入する気がないのなら、もはや、離婚せざるを得ない精神的窮地に立たされていることをズバリ言う覚悟は、長期的に自分の人生を考えたときとても大事な決断となってくるはずだ。
女が同居という至極の条件をのんで結婚した以上、その責任を果たすのが男だ。
「俺の嫁になんてことを言うんだ?」
「俺の母親に向かってなんだ?」
この二つの対義する気持ちを両立できる夫でなきゃ、同居嫁の夫はつとまらない。嫁も母親も同じように大切。だから、不仲があれば介入して調整役を買って出る精神がないのは、自分だけをこよなく愛するタイプの男だと言っているも同然。結婚というイベントは時間の問題で幕引きとなるはずだった……。
なにかあれば俺に相談してこい……この一言は、ずっと独り相撲をとっていた私の心に刺さる、旦那の名言だ。人間関係を良好にする他のどんなライフハックよりも効果的でスーッと心を浄化してくれるありがたい言葉だった。