離婚してしまった理由はいろいろあるんだろうが、根っこにあった問題は〝嫁と舅姑〟の人間関係が主要だっただろうと思う。
なぜなら、離婚を回避する条件は「兄が家を出て別居すること」だったから。
家には次男も同居していたのだが、兄はあまりにも「跡取り長男」でいすぎて、別居に踏み切れなかったようだ。
兄に対して〝嫁よりも家を捨てられぬオトコ〟をフツフツと感じてしまったお嫁さんは急速に離婚への決断を加速させていったのではないだろうか。
身内でそういうことがあると、 私自身、旦那に対して「いざとなっても、この人は家を捨てぬオトコなのでは?」 という考えを消せない。
もちろん、愛していないわけじゃない、 出来れば親と別居してやっていきたい、 そんな気持ちが確かにあっても、そうは出来ないという事があるもの。
だから、私は子供がある程度大きくなったら仕事を探すつもりだ。
今も、旦那が稼いだお金でコツコツと貯金をしてる。
もし・・・・・・もう姑との同居には耐えられない、離婚しかないってことになっても、経済的基盤がないと厳しいから。
それに、いつどうなっても大丈夫って余裕はポジティブシンキングを生み出してくれる。姑に対して、はじめはいちいちまじめに接してた。
姑の言うことには耳をかたむけ、仮にそれが現代の考え方と違っていればそのことを話してみたり・・・・・・。
けれど、姑の性格までは考えてなかった、というよりわかっちゃいなかった。私の実の親は、いまどきの考え方はこうだよといえば、そういうものかと受け入れるタイプだが、姑は、たとえ科学的に証明されたことだろうとなんだろうと、昔がそうなら現在未来も永遠に不変であると信じる人・・・・・・。
「言っても無駄だよ。」と旦那からアドバイスされたものの、どうでもいい事とそうでないことがある。いくら何でもこれは伝えた方がその人の為だって思うことだって。
でも、本当にいるんだね・・・どうしようもなく、偏屈な人間。
その偏屈な姑に対して、慣れた身内はどうやってコミュニケーションを図っているんだろう?と気になって、旦那の兄弟が姑と接する時の態度を注意して見ていた時期がある。
すると・・・・・・誰もが適当に受け答えしている感じなのだ。適当だけど、決して見下してはいない、独特のコミュニケーションスキルのようなものを感じてしまった。
慣れた身内は「言っても、分からないんだもん」と言うが・・・なるほど。親子関係数十年の体験がお互いにカーッとならない感情コントロールを身につけたんだろうね。
さあ、私も右へならえすることにした。
そうは言っても、そうじゃないんだよ! 姑、本当はこうなんだと伝えたくなることもあるけれど、言っても仕方ないんだからと自分で自分に言う。よそで誰かに言われたら考え直すかもしれないし、誰も言う人がいなかったら、それって、きっと姑にとって一生知らなくてもいいことなんだ。
曇りの日にはよく言われる。「池の鯉がはねたから、雨が降るかも」ハイハイ、鯉は毎日はねてるから、当たる日だってある。でも、毎日はねているよと指摘しちゃダメ。どうでもいいことだから、適当第一。
「曇ってるからそうかもね・・・」これでOK。
何かもっと重要なことで、それは違うんじゃないかと思っても、私に実害がないなら聞き流し・・・それでいいことにしちゃう。嫁に言われたら面白くないだろうから、言う必要ないよね。普通に話すだけでも、姑が相手だと、気疲れしたりするんだもの。会話が減るぶん楽だと思うことにしなきゃ・・・
加えて、私の旦那がどちらかを捨てねばならない局面に立たされたとき、親か嫁か?その答えに私が自信を持てるなら、姑との人間関係で離婚するケースは私には他人事となるだろう・・・