義両親という人々は、なぜ、子育てに口出ししたがるのだろう?
――姑と同居する嫁の家族環境は、旦那と嫁…そして子供、これに姑が加わる。
この構図、利口な嫁と人格者の姑、そして誠実な旦那で構成されていれば問題ないが、往々にしておじいちゃんおばあちゃんという人々は孫に嫌われないためにこびを売り自らの体裁を守るためだけに、無責任な〝アメ〟を孫になめさせ続ける習性がある。と、少なくとも私はそう思っている。
ネット検索や質問系サイトで、母親を差し置いて子育てに出しゃばる義両親はいかがなものか?と書き込まれるコンテンツが年がら年中尽きないことが物語るのは、世の中のおじいちゃんとおばあちゃんという人々がいかに、子育てに無能でかつ無責任であるにもかかわらず、実の母親よりも有能であると錯覚しているということである。
ぶっちゃけ!私は祖父母と孫は関係を遮断した方が子育ては上手くいくと考える派だ。と同時に、私は少数派ではないと自負している。
姑は子供と接して欲しくない。これが本音だ。理由はひとつ、ヘタな経験をかざしながら、実は、カワイイ孫に「おばあちゃん大好き!」と言われたいためだけに…イコール、自分のために、子育てに口出しするからだ。おばあちゃんの知恵袋?それは、時代負けした陳腐なポリシーを綺麗に形容しただけのフレーズでしかない。そして、何十年も昔の時代感覚と個人の子育て論を正義として、今のお母さんはねえ‥と見下す言動に、責任などいっさい存在しない。ズバリ言わしてもらうと、孫に嫌われない優しいおばあちゃんでいるためだけに、親よりも広大な心で有能な知恵を持つものであると小さな子供に錯覚させる。悲しいかな…口出しによって犠牲となるのは嫁のメンタルと子供の成長。
さらに、子供が大人になって子育ての〝結果〟がでるころには祖父母は存在しない。今、孫に何を口出ししようが何を教えようが、それによって子供の人格形成にどんな影響が出ようが、結果に立ち会うことが物理的に不可能なのである。もっとも、100歳超えてもピンピンしている予定なら話は別だが……。
だから、祖父母という属性の人々は〝今〟孫に好かれていればいいだけの人々なのである。だからこそ、世の中の祖父母たちは常に「正義の味方for孫」であろうとする。ただし、正義を語るには悪が必要だ。悪とは…?母親だ。あばあちゃん大好き!と言わせるために時々、嫁の不出来を子供にこぼし、自分の見栄えを飾ろうとする。すると子供は、おばあちゃんってママよりもすごいなあと見間違う。結果、子供のために本気で叱りつける母親の言動は「悪」へと変わる。
ここまで、ストレスの爆発を繰り返す同居嫁としてこれでもか?という語調で姑を酷評したのだが、子育てに口出しする姑へのストレスに爆発するときの感情ってこんなものだと思うのだ。
みんなみんな……自分が子育ての主役でありたいのに姑との立場格差が原因で押し黙るように耐えている現実がある。さて、少し細かく…ストレスを解体してみようと思う。
うちもそうだが、たとえば無断でお菓子を与えないとか親の方針と矛盾する言動はしないで欲しいなど、一度や二度お願いしただけでは聞き入れてもらえないことが多い。 だけど、こちらも譲るわけにはいかないから、何度でも言う。 そして、何度もしつこく繰り返すうちに、ようやく何も言わなくてもそうしてくれる段階に入る。 だからといって私の考え方を理解してくれたわけではない。
嫁に何を言われたとて、姑は、相変わらずお菓子をあげるやさしい祖母をしたいし、泣いてる孫の味方をしたいのだ。 だから何かにつけて、「よその家ではみんな、孫にお菓子をあげているのに」と言い返されたり、時と場合によって泣いてる子供をあえてほっておくようなケースでも「さっきは何?ずいぶん泣いてたようだけど…そんなんじゃ子供が…」と、口出しされる。私にしてみれば、子供って泣くことで感情を成長させるのだ。毎度毎度、泣かせているわけでもないし、ギュッと抱きしめてあげたいのをこらえて心を鬼にする経験なんて母親なら誰にでもあることじゃないか。
泣くことは貧乏の象徴でしかない時代に生きた姑だからこそ、お腹をすかせて泣かせるような母親を非難したいのだろう。
いかなる時でも泣かせることは悪、お菓子を与えてニコニコ顔を獲得することが正義。小さな子供には悪よりも正義の方が見栄えが良いのは自然な流れなのである。
子育てとは親と子供がグランドで真剣勝負する人生ゲーム。外野から聞こえる無価値なヤジにとまどうことなく、子供に向き合いたいと思う。