姑と暮らす同居嫁として、旦那と姑との関係つまり〝親子関係〟に立ち入らないことが大事だと思っている。旦那と姑の喧嘩も同様だ。
ちなみに‥旦那と姑はしばしば言い争いをしている。日常生活、親戚・近所付き合い、その他のどうでもいいようなことまで、意見が食い違い衝突してしまうケースは様々。
そんなとき、第三者として嫁として二人の喧嘩に立ち入っていた過去がある。
客観的に見て旦那が正しいと思えば、そのことを全く理解・納得しそうにない姑に対して補足説明役をしたり、逆に、いくらなんでもダンナの言い過ぎなのでは? と思えば姑を支持するスタンスで仲裁に入ることもあった。そういう立ち位置でいることが中立的な「いい嫁」だとも思っていたから・・・・・・。
だけど、今はほぼ完全に立ち入らないようにしている。理由は大きく分けて二つ。
ひとつは、問題の是非にかかわらず姑を支持しようと思わなくなったから。
自分の非は認めようとせず、自分とは違う価値観や考え方を決して受け入れようとはしない姑の性格に加え、そう広くない家の中で同居しているという物理的条件もあって、言い争う機会の多い旦那と姑。
旦那の言い分には筋が通っているし、姑に対しては、これだけ噛み砕いて説明しているのに、なぜわからないの?と、毎度のことながら思う。私には関係のない内容でも聞いているだけでもイライラしてしまうほどなので、旦那の声が思わず大きくなり、言葉もきつめになっていくのは当然だろう。
それでも、以前なら「まあまあ、そんなに言わなくても‥」と、旦那のなだめ役にまわった。加えて、これはズルいけれど嫁姑関係の悪化予防として、どうでもいい内容なら姑の味方についたりしたものだ。
だけど、嫁姑関係は同居歴が長くなるのと比例して悪化の一途で、日々、ストレスはたまるばかり。だから今ではもう、姑の側に立つことなんてない。そんな気持ちにはなれないのだ。旦那の肩を持つような事もしないけどね。
言い合いが始まっても、「我、関せず」とばかりに、家事にいそしんだりしているのだが、心の中はというと、そんな時は日頃の憂さ晴らしとばかりに、旦那の応援をしている。いくら私が、はっきり言う方の嫁タイプだと自覚していても、やっぱり姑への発言には限界がある。普段、ググッと飲み込んでいる言葉を、旦那に代弁してもらっているような感覚だ。
はじめは「いくら実の親子でも、そこまで言わなくてもいいんじゃないの」と思っていたのに、今では「そうそう、その通り。 もっとガンバレ!」に変わってるなんて、我ながらすごいものがある。 同居って、性格がゆがんでいくのだろうか?
(´。;ω;`)でも、性格がゆがむ原因は姑でしょ?ってやっぱりゆがんでる・・・。
さて、二つ目の理由だ。
それは、姑は嫁に対して公正な評価をしないから。
「息子の味方をすることもあるけど、ときどき私の味方もしてくれるわ」
こんなように姑は私を評価していると思っていた。けれど、私に味方してもらったこともスーッと忘れるのだろうか? 私が旦那の味方になったことだけに執着して憤るのだ。そして〝嫁の気に入らない度数〟だけが上昇する・・・・・・。
そもそも、旦那と姑の言い争いは二人の問題であって嫁にはカンケー無い話なのだ。にもかかわらず、気を遣って頭を使って精神力を使ってストレスを帯びながらも、そして自分の立場もわきまえながら、さらに高齢者である姑に配慮してやや支持を強めながら、自主的に関係者になってあげているのに・・・・・・そこんとこを全く理解していない。
以上のふたつの理由から、私は旦那と姑の親子ケンカには関係しないと徹している。
傍観者・・・・・・同居嫁にはとってもよく似合う言葉だ・・・・・・。