もし生まれ変わっても、姑との同居を必要とする今の旦那と結婚したいか?
ふと、そんなことを思う。結婚前、相手の両親がどんな人なのかは、 誰もが気にするところだ。
結婚とは二人だけのライフイベントと言いつつ、視点を変えれば、結婚はこれまでの人間関係が複数倍になる。つまり、結婚とは二人だけの問題では・・・決してない。
しかも、嫁が同居するというケースであればなおさら、旦那の親がどういう人物であるかは旦那の人間性以上に嫁の人生に影響を及ぼすものだ。
私も、ドキドキしながら何度か会い、 これなら大丈夫そうかな?と何度も何度も夫婦生活を見積もった経験がある。
一生別居で、年に数回の顔合わせならば、 そんな印象程度で判断してもいいのかも。 でも、同居が待っている場合はそうはいかない。
人は、一緒に住んでみないと、どんな人間なのか、 本当のところは解からないのだ。
そうして、同居が始まった途端に今までのイメージはガラガラと崩れていく。
別に今まで義父母が本性を隠していた訳ではなく、生活を共にしないと見えてこない面が余りにも多いということなのだ。もっとも・・・本性を隠している場合だってあるんだろうが・・・・・・。
考えてみれば、旦那に「実はこんな面があったのか」と、結婚してから気付くことがある。交際中にあれほど会って話をしたのに・・・
それに比べて、義父母なんて数えるくらいしか会わずに、 当たり障りのない話をして済ませていただけの存在だ。
そもそも、姑の性格、価値観、生活習慣など、知っているレベルではないのだ。だから「この人たちとなら何とかなるかも」 なんて考えだけで 同居に踏み切るのは甘すぎる・・・と言えば、そうなるかもしれない。
だから、同居嫁が姑にストレスを抱えてしまうことはデフォルトの条件であり、ストレスを解消しようではなくストレスを軽減しようとする考え方を見失ってはいけないんだろうと思う。
さらには、相手は変わらないものなんだから自分が変わることでストレスが軽減できるのならそれで良いとする寛容さも大切なんだと思う。ただし・・・
こういう気持のスタンスをキープするには嫁ひとりのキャパシティでは不足するのが事実だと思う。キーパーソン=旦那が同居家庭でどんな立ち回りをするか?してくれるか?そこのところも大いに関係してくるはずだろう。
うちの旦那・・・
結婚前に言っていたことと違うじゃない、 だまされた!ということは重要度の差こそあれ 同居嫁なら必ず経験する。
別居していた頃は 新婚だったということも手伝って、 「いってらっしゃい」も 「おかえり」も ハグしてチュッだったのに、そんな習慣、同居とともに消え去った。
そんな場面を何かの拍子に親に見られることがあったら嫌だけど、 絶対に大丈夫なときには続けようねって言っていたのに。
こういう愛情表現やスキンシップは とても大切だと思う。
当人同士にとってもそうだが、親が仲良くしている姿を子供に見せることが子供の精神面を考えたときにプラスの作用をするって聞いた。
辛うじて続いているのは 子供をまじえたおやすみのハグ&キスだけだ。その時間、子供たちはとても嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
それでなくても、同居していると 「夫婦水入らず」「親子水入らず」の時間が削られてしまうのだから、意識してスキンシップしないと駄目?のような気もしている。
姑との同居は、旦那との愛情関係だけでは成立しない。
現に、旦那は嫌いじゃないけれど、 これ以上同居には耐えられないと離婚するケース少なくない。私だって、旦那は夫として申し分ないと思ってる。 愛が消えたわけでもない。でも、同居が待っている限り、 生まれ変わってもまた結婚したい?という気持ちには、 正直なれない。今度結婚するのなら、姑と同居しなくてもいい相手を選ぶ。