f 来客へのお茶の出し方ひとつで静かにキレる姑~ 姑にストレスがたまる同居嫁のブログ
と嫁のトラブルやストレスは尽きぬもの。それが同居嫁となればなおさらのこと、問題は積み上がる。姑と同居嫁の関係って・・・もうどうにもならないのか?上手く付き合えば、姑は安心を得て嫁は知恵を得るwinwinの二人にもなれるだろうに、そうはいかぬが世の常か・・・・・・このブログは、姑と同居する嫁が主観100パーセントでストレスを言語化するブログである。
スポンサーリンク

来客へのお茶の出し方ひとつで静かにキレる姑


来客へのお茶の出し方は、一見、なにげない振る舞いであるようで、女はひとつひとつの動作をじっくりと評価したがる。

女とは姑であり、評価されるのはストレスフルな同居嫁である。

と、そんな話をする前に、ひとつ屋根の下で三世代世帯が暮らす同居家族数の推移をウオッチしてみた。すると、総じて同居嫁は激減し、夫婦のみ、単独世帯が右肩上がりに増加中であることがわかった。

日本の全世帯数約5000万世帯のうち、65歳以上の高齢者がいる世帯数は約2200万世帯。
この超高齢化時代、当たり前だが半数近い世帯に65歳以上の高齢者がひしめいている現状だ。
上のグラフは、65歳以上の高齢者を取り巻く生活環境を示したグラフ。いろんな視点で様々な分析ができるとしても、今回、注目するのは三世代世帯数の激減である。

親、子供、その子供で構成される〝三世代世帯〟平たく言うと、嫁姑問題の土台となる世帯構成を指す。が、グラフ上で最も過去となる昭和55年の50パーセントを皮切りに、三世代世帯数は平成25年度には13.2パーセントまで減少している。

高齢者は増える一方で、介護施設はパンク状態。にもかかわらず、同居しない嫁はグンと増えた。ちなみに欧米諸国でも「子との同居」が1割前後とのこと。2世代同居は敬遠されている。

かくいう私も、姑にストレスがたまる同居嫁の身のほどではあるが、決して自己肯定を強める意味ではなく、広義で姑との同居が敬遠される時代ではないだろうか。耐えること尽くすことが美徳とされた昭和全盛の嫁物語はもはや淘汰された感がある。嫁と姑がひとつ屋根の下で暮らすことはたやすいことではないのだろう。

ママ友の彼女もまた、自分同様に同居嫁である。そんな彼女の家に遊びに行ったとき、二つの質問が話題にあがった。実はこれ、この家の嫁と姑の譲れないポリシーが対峙する、くだらないようで重要な質問なのだ。

質問1
海苔の片面に醤油をつける。その海苔をご飯にのせるとしたら、どっちの面?

質問2
トイレットペーパーの端を三角に折る派、折らない派?

この家の嫁と姑は回答が真っ向から分かれた。

質問1の回答
嫁:バカみたい! そんなの口に入れたら一緒でしょ。
姑:醤油のついた面をご飯にくっつけると米粒が汚れるから絶対イヤ。

質問2の回答
嫁:三角に折られていると、何か不潔なのよね。誰がどんな手で折ったのかと思うとゾッとするわ。
姑:次に利用する人が使いやすいようにするのがいいんじゃない。お客様が来られた時なんか、折ってないと恥ずかしいでしょ?

この家に住む嫁と姑は、くだらない質問に「己の常識」という刀を振り回していた。もちろん、こんなクダラナイ問題どうだっていいとしても、他人である私の目には、互いに譲れば負けだという潜在意識がメラメラと燃え揺らいでいたことが印象的だった。


そう言えば、この家の嫁が席を外した間に、姑が私に、来客へのお茶の出し方について愚痴をこぼしていた。

「先日、嫁の実家のご両親が尋ねてこられた時のことですが、ウチの嫁ったら、自分の親にはお茶をさっと出すのに、同席している私には何もなし。息子に<おふくろにも入れてやれよ>と言われて、ようやく腰を上げる始末なんですよ! こんなできの悪い嫁っている?」
同返事をすればよいのか躊躇してしまったのが正直なところだが、世の中には、嫁の母親よりも低く扱われたら静かにキレてしまう姑が少なくない……。


何が常識なのか? また、その常識と言われることが普遍的に正しいと言えるのだろうか? 育った時代や環境すべてが異なる嫁と姑。互いのストレスは存在するのが当たり前。そのお互いの考え方がいつでもどんなことでも同じだとすれば、それこそ奇妙な話だ。だから、それぞれが独自の理論に基づいて自分が正しいと主張し、行動している限り、永遠に平行線をたどる。上記のような些細な出来事の積み重ねによって引き起こされる嫁と姑の亀裂に歯止めをかけることは不可能ということになる。三世代世帯が敬遠されるのも納得だ。

三世代世帯を快適に過ごすためには、お互いのどんなギャップに遭遇しても、ま、差し当たって「へー」とか「はー」とか「ほー」と驚いてみることが家庭円満の第一歩のような気もするのだが…。

前述したトイレットペーパーの話だが、仮に、お嫁さんの言い分も一理あると考えなおした姑が、手を洗ってから、ペーパーの端を三角に折る。形だけにとらわれて、次に使う人の便利さだけでなく、気分の面にまで心が行き届かせられるようになる。そして、ついには、お嫁さんに、「あなたにいいこと教えてもらったわ。有り難う」と表現出来たとすれば、いとも簡単に解決する問題に違いない。

嫁と姑の同居とは独り相撲ではない。ひとりよがりの常識や固定観念を捨てなければ、たとえ嫁よりも発言権の強い姑であっても、それは裸の大様とでも言おうか、さらに高齢となり精神的体力的に強さが逆転してしまったときにツケを食らう結果が待っている……。
スポンサーリンク

❤∭❛ʚ❛∭ 人気の記事