当たり前だが、姑による同居嫁の評価内容は姑の主観がベースになっている。
というわけで、姑の口からウチの嫁姑関係における問題やエピソードを聞かされた人々は私の事を「なんて嫁なの?」と思うはずだ。もっとも、姑が嫁姑にまつわるエピソードを発信する相手は自分の姉妹や娘などの〝姑サイド〟の人々に限定されるからなおさら・・・そうなる。
すると、とあるエピソードや問題の中で同居嫁がどうしてそういう(姑からすれば気に入らない)言動を起こしたかという根っこの理由を洞察する気遣いなんてあるわけないから・・・客観的に姑ばかりが我慢して苦労しているといった側面ばかりがクローズアップされてしまうのだ。
こんなとき、同居嫁として誰からも平均的に良い評価を得たいなんて考えるとストレスがたまるばかりだ。しょせん、姑サイドの人々はいつまでたっても姑の味方でしかないのだと棚上げして、姑サイドからの非難と酷評はお風呂にでも入ってお湯に流すようにしている(ะ`♔´ะ)
心の持ちようとして大事なポイントは、姑連中の評価によって自分がネガティブな気持になるのではなく、自己評価を優先して自分に自信を持つことだろうと思う。もし・・・皆で顔を合わせて状況を説明すれば、私ひとりが悪いと思われない自信があるならそれでいいじゃないか?ここはひとつ、姑連中の評価よりも自己評価を重んじていきたいのだ。そうは言っても、誰かの支えも必要だというならダンナに理解してもらえていればそれでだけでヨシと考えるようにすると気持ちはグンと楽になる。
――同居嫁である限り・・・姑へのストレスとイライラはなくならない。
ここで、ストレスとイライラの種類を分類してみよう。するとポイントが二つ浮き上がる。一つ目は、何か自分の方針や価値観などと異なることをされた場合に姑にストレスがたまっている。二つ目は、ある出来事に対して何か意見したいのに言えずに終わってしまった場合に姑にストレスがたまると同時に、何も言えない自分に対してもイライラしてしまう。二つのストレス要因には共通する現象がある。ひとつひとつは一度や二度されたからといって即どうこうというものではなく、改められれば我慢しようと思えるような些細なことばかり。けれど・・・それが毎日毎回、事あるごとに繰り返されると、ストレスや不快感がたまりにたまって姑との同居が耐え難いものになっていくのだ。
はじめは小さなストレスと少しのイライラだから「最低、最悪!」と心でつぶやきつつも、こんな生活がずっと続くのかと暗い気持ちになったりしながら毎日を過ごしてきたが、近頃では「最低、最悪!」と、つぶやいた後にこんなセリフを付け足すことで少しはストレス軽減になっている気がする。付け足すセリフとは・・・「まあいいか、放っておこう、好きにして、言うだけ無駄、悩むだけ損・・・」といった具合。
単純にあきらめて冷め切っているだけとも見て取れるが、"些細な事"が原因となっている場合、自分の気持ちのあとに自分を支えてあげる言葉をくっつけてやれば、これから一生ガマンしなければならないのか?と投げやりな気持が、わずかでも軽くなるような気がするのだ・・・・・・。そしてストレスは〝自分は間違っていない〟自信に変わるのだ。