「同居嫁だったら生活にかかる小さなお金を姑に出してもらえる機会が多いんじゃない?」
正直、そういう機会は〝なくはない〟としても、一円の支援がなくとも自分たちの家族だけで暮らす伸びやかで自由な暮らしにあこがれるのは、姑と同居する嫁であれば誰もが共通する望みではないだろうか?
姑との人間関係が原因で、旦那との関係を破綻つまり離婚せざるを得ないケースだってあるんだから、嫁と姑の円満な人間関係は人生の全てを制すると言っても過言ではない?ような気もする。
こういう場合、きっちりとした家庭なら最初からお金にはクールだそうだ。
光熱費や住宅ローンの支払額から、姑が若い息子夫婦と暮らすことによって得られる安心と安全を差し引いて、実金額として算出した分担を行う。
持ちつ持たれつのウィンウィンの関係だよね⒱
これ、嫁の同居がスタートする時点で取り決めしておくと後々、永遠に楽になるのだが・・・大部分の嫁はお金の話を姑に持ちかけることを反射的にタブー視するから、結局、何年もしてからいろんなストレスを抱える羽目となるのだ。
あたしのことだ・・・・・・で、言いたいことがあってもお金のことで強く言えない、言い出せない、嫁ができあがってゆく。同居は最初が肝心!
――ところで、姑には娘もいる、つまり義姉妹。
もちろん、義姉妹もすでに嫁いでいる。で、やはり義父母との間にはいろいろとあるようだ。そして、義姉妹から義父母のグチを聞かされている姑。
すると、なんでもペラペラしゃべる姑は夕飯のときに細かく話してくれる。
「あんな親だから娘も大変でしょうがない・・・かわいそうにかわいそうに・・・」
そうやって、娘の肩を持つ姑。
まあそれは親として自然な感情なんだろうから異論はない。それに、いろいろと義姉妹のグチを又聞きしていると「彼女も苦労してるんだなあ」とは思う。
が・・・・・・!ちょっと待って。
姑さん!あなたも私に似たようなことしてますよ!
だから私だって義姉妹と同じように大変なのだよ。
義姉妹の行動に対する義両親の言動にも不満を持っている姑だけど、あたしが同じようなことをすれば、姑だって私に同じようなことを言うじゃないか?
だけど、姑曰く、わが家の場合は私の方に問題があることになっている。おかしいじゃないか?それ・・・・・・
同じ状況なのに「娘は正しいが、嫁は間違っている?」
でもね、姑は、そこに矛盾を感じたりしません。 姑に公平な判断を求めたって無駄なのだ。揺らぎようのない矛盾に同居嫁のストレスは、そしてまた積み上がる。
盆と正月などの帰省にしてもそう・・・・・・
世間一般的には、どこかのんびりとした空気が漂う日本らしい古典的で習慣的な時間が流れるのが盆と正月であろうが、姑と同居する嫁にとってはニュアンスの違った盆と正月となる。
つまり・・・こういう時は、わが家にも親戚が入れ替わり立ち代わりやって来るわけで、 留守には出来ず、訪客の接待に明け暮れる。義姉妹にとって、帰るところといえば実家であるわが家。
騒々しい子供たちを引き連れて、いったい何泊するつもり? せっかくの休み、旅行に行け、旅行に!と言いたくなる・・・・・・
息子のお嫁さんは、義務感にかられて同伴するのが大半だろうが、義姉妹となると生家でゆっくり羽のばしとばかりに、時間の許す限り居続ける。
で、同居嫁である私はと言うと義姉妹一家へのお茶くみや、普段の数倍のボリュームの食事作りと後片付けなどで、 朝から晩まで働きづめ・・・
お正月も同様、盆の親戚巡りが年始まわりに変わるだけ。 また、精神的・肉体的なものに加え、 お年玉という金銭的なストレスも加わる。
ラッキーな場合は、そんな帰省一族と入れ替わりに嫁も実家に避難することができるかもしれない、けれど「娘の帰省は当たり前と迎え入れても、同居嫁の里帰りはもってのほか!」と、矛盾を正論づける家もある。
とにもかくにも、同じ状況で「娘は正しいが、嫁は間違っている?」と考える姑にはストレスがたまる一方なのであった。
ちなみに、姑が義両親に対してこんな批判めいたことを口走っていた。
「長く生きてんだからお金は出しても口は出さなきゃいいのにさ・・・・・・」
おいおい・・・・・・それをあたしにしておくれ・・・!