姑のお友達が亡くなられた時の話。
訃報がはいり、お通夜から葬式までの日取りがしめやかに伝えられます。
当たり前ですが、姑連中のお友達はそれなりに高齢の方ばかり。つまりそれだけ、あの人が亡くなった・・・云々の話題は若い人以上に多いわけです。
姑のお友達には私と面識のある方も少なくありません。同居嫁ですから、姑が友達を呼んだりすると、嫁である私との交流も同時進行する場合もあったり・・・姑のお友達は嫁のお友達・・・?的な関係のお方もいるのです。
先日亡くなられた、姑のお友達も私との面識がありました。
会うたびに良くしてくれる人で、気さくなおばあちゃんでした。
それだけに、不幸を聞いたときには私も強いショックを受けたのです。
お通夜は姑連中で見守ってあげる雰囲気だったので、私はお葬式に参列することに・・・・・・。
すると、お葬式に行こうとする私を姑がとめるじゃないですか。
「もういかんでもいいよ・・・行ったってわからんから・・・」
は・・・・・・・・・?
どういう意味なんでしょう?
それは、亡くなったのだから行ったところで「来たことがわからない」という意味だったんです。
これ、なにも複雑な解釈は必要ありませんから。
ずばりそのままの解釈イコール、生きていないのだから何もわからないということを姑は本気で訴えているのでした。
生きていないのだから誰が参列しようがほっておこうがわからないと、まじめな顔で嫁に説明する姑。
そーいう問題じゃないでしょうが・・・!
姑さん!
姑ならではの論理に唖然としつつ・・・生前はお世話になりありがとうございました。安らかにお眠りくださいと、手を合わせてきた同居嫁なのであった・・・。