f そもそも老いてゆく姑に同居嫁がストレスを感じるのはあたりまえかもしれない~ 姑にストレスがたまる同居嫁のブログ
と嫁のトラブルやストレスは尽きぬもの。それが同居嫁となればなおさらのこと、問題は積み上がる。姑と同居嫁の関係って・・・もうどうにもならないのか?上手く付き合えば、姑は安心を得て嫁は知恵を得るwinwinの二人にもなれるだろうに、そうはいかぬが世の常か・・・・・・このブログは、姑と同居する嫁が主観100パーセントでストレスを言語化するブログである。
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そもそも老いてゆく姑に同居嫁がストレスを感じるのはあたりまえかもしれない


そもそも、姑へのストレスの本当の原因は老化によるところが大きい。

なので、問題を受け入れようとせずにストレスだと錯覚することは別視点で物を言うと確かに勝手な話でもある。そんなわけで、生意気な同居嫁の視点ではなく、少し見方を変えた姑の考察をしてみようと思う。


――決して、あたしがきれい好きの掃除好きというわけではないにしても、底のヌルヌルした急須でお茶を飲むのは、どうも気が引けるのだ。
と言うのも・・・昨日のお茶っぱが入っている急須を洗う時。
(あたしが指摘するまでは、昨日のふやけたお茶っぱがまだ飲めそうだと姑が判断した時は翌朝もまた、そのままでお湯を足して出していた)
急須に水を入れてパカッとゴミ入れに空け、そのまま蛇口から出る水で、しっかりこすって洗うわけでなくシャカシャカとゆすってゆすぐだけですませるから、日がたてば知らぬ間に、底のヌルヌルが重なっていく・・・(°°;) 急須のことなんて普段は姑に任せているのでアッと思い出して、嫁が確認する時にはたいてい少しヌルっとしてしまっていることが多いのだ!

夜だというのに、真っ暗のまま、電気もつけない部屋でテレビを見ていたり、汚れが見えないだろうと思うような薄暗いままの台所で、布巾や食器を洗っていたり、曇っていていつもより暗くきっとほこりは見えていないんだよなと思うような廊下をいつものように掃除機をかけていたりする姑。

かと思えば、外から帰ってきて手を洗う時、洗面所の周囲に水が飛び散っているんだろうなと、簡単に想像できるほどのバシャバシャという音を立てて手を洗う姑。

姑は目が悪くなってきて、細かいことが見えにくくなっているのかもしれない。だからか、若い頃と違ってこれはもっとこうした方がいいんじゃないかと考えながら行動することもなく惰性というか、習慣というか、一連の流れの中でただ、無意識にこなすだけになっているのかもしれない。

そう言えば昔、職場で誰かに言われたことがある・・・・・・。
「今までどうしていたかではなく、本来どうあるべきかが大切なんだ」と。だから姑さんには「これは、そのようにではなく、こういうふうにして下さい。」と、言えばいいのではないか?と・・・。

わかる・・・わかります。わかるんだけど、人間そんなにすっぱり割り切っていつでも合理的にできることばかりじゃないからね。同居嫁は、つくづくそう感じます。
正しいことを主張することが、時にはスムーズな人間関係の妨げになることも姑との同居生活の中では十分あり得るのだと。

老化という誰もが避けられない現象で同居嫁が抱くストレス・・・やはり同居嫁がそれを受け入れ、必要に応じて補っていくしかないんだろうか?

それに対して、不満や文句や非難ばかりを並べ立てても、結局、何も、いい方向には向かわないのかも・・・

日々成長し、「今日のボクは昨日のボクとは違ってる」状態の子どもとは異なり、日々、できないことが段々と増えていく姑と同居していると、自分のことが自分でできなくなった時に、迷惑をかけざるを得ないことを考えて自分が好きに動けるうちに、周囲の人との自分なりのいい関係を築いておくことが大切なのかもしれないなと、そう思う。

同居嫁だからこそ見えてくる問題とストレス。

結婚前・・・わりと自分中心に生きてきたあたしにとってはちょうどいい、人生の修行の場となっているのかもしれない。
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